大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

秋田地方裁判所 平成9年(わ)28号 判決

主文

被告人を懲役一〇月に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、

右猶予の期間中、被告人を保護観察に付する。

訴訟費用のうち、証人A・証人Bに支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、平成九年二月二七日午後二時五五分ころ、秋田県河辺郡雄和町椿川字館ノ下七八番地二付近道路において、同所に駐車中の警察用車両内で、警察官佐藤幸也(秋田警察署所属)らから座席ベルト装着義務違反について事情聴取等の手続を受けていた際、同車内のテーブルの上に置いてあった右違反に関する点数切符(三枚綴り)を、やにわに左手でつかみ取り、これを引き裂くなどし、もって、公務所の用に供する文書を毀棄したものである。

(証拠の標目)《略》

(公務執行妨害罪及び公文書毀棄罪の成否について)

一  争点

1  検察官は、本件は、座席ベルト装着義務違反を取締り中の警察官が被告人が同義務に違反して運転しているのを現認して、佐藤巡査が移動交番車の中で取調べを行い、点数切符の作成を始め、これを眼前の机の上に置いていたところ、被告人がこれをわしづかみにして引き裂いたものであって、右の被告人の行為は公務執行妨害罪及び公文書毀棄罪に該当すると主張する。

2  これに対する弁護人の主張は次のとおりである。

(1) 車両運転者に座席ベルト装着義務を課している道路交通法第七一条の三は、憲法第一三条、第三一条に違反するものであるから、警察官らの本件における交通取締りは違法である。

また、被告人は、移動交番車の中で取調べを受けた際、点数切符に署名することを拒否したのであるから、警察官がさらに署名を求めることは被告人対して義務なきことを強要するものであり、それ以後の警察官の行為は違法である。

したがって、被告人が点数切符を手にして引き裂いた行為については、そのとき警察官は適法な公務の執行をしていたのではないから、公務執行妨害罪は成立しない。

(2) 被告人が机の上の点数切符を手にして引き裂いた際、対面していた佐藤巡査の身体には一切触れていないし、いわゆる間接暴行を加えたわけでもないから、公務執行妨害罪は成立しない。

(3) 交通取締りに従事する警察官が被告人に対して点数切符に署名することを強要したのに対し、これを拒否するために切符を引き裂いたとしても、これは一種の緊急行為であって、行為に違法性がない。

また、問題となった座席ベルト装着義務違反が軽微な法違反であること、点数切符自体は価値があるものではなく、被告人の署名が未了で完成していないものであったことなどを総合すると、公文書毀棄罪については可罰的違法性がない。

二  事実関係

当公判廷における証拠調べによって認定した事実関係の概要は次のとおりである。

1  平成九年二月二七日午後二時ころから、秋田県河辺郡雄和町椿川字館ノ下七八番地二先の県道秋田雄和本荘線において、秋田警察署交通第二課の工藤実警部補の指揮の下に九名の警察官が座席ベルト装着義務違反の取締りを開始した。

午後二時二〇分ころ、現認係の熊谷巡査長から秋田《番号略》の車両の運転者が座席ベルトをしていない旨の無線連絡を受けて、佐藤幸也巡査が同車を停止させた。運転席から降りた被告人に対し、座席ベルト装着義務違反であることを告げたが、被告人は「ベルトは前に停まっていた覆面パトカーを見つけたから止まねばできねと思って外した。」「仕事が忙しいのであと帰る。」などと言ったので、工藤警部補に応援を頼み、被告人を説得して移動交番車の中に入ってもらった。可動式テーブルの前の椅子に座らせ、免許証の提示を求め、説得の末、提示を受けて、被告人の氏名等が判明し、点数切符の作成を開始した。

2  点数切符は三枚一組であり、一枚目が告知票、二枚目が報告票、三枚目が取締り原票となっている。この点数切符は一〇組が一綴となっており、下敷き付のバインダーではさんで使用するものであった。本件当時、八組は既に使用されて取り去られており、佐藤巡査が作成しようとしていたのは九組目の点数切符である。

3  被告人は違反していない旨を主張し続けていたが、佐藤巡査は、報告票の自認書の欄に被告人の署名押印を求めた。

佐藤巡査らが、違反は現認されているし、点数は取られると話したところ、午後二時五五分ころ、被告人が作成中の点数切符をつかみとって、両手に握りつぶし、細かく引き裂いた。佐藤巡査は「何するんだ。返せ。」と言ったが、被告人は、破った切符をはいていたトレパンのポケットに入れて移動交番車から降り、自分の車に乗ってしまった。

被告人の車両にはエンジンがかかっており、ドアがロックされていたので、公務執行妨害罪及び公文書毀棄の現行犯人として被告人を逮捕した。

三  検討

1  道路交通法第七一条の三の憲法適合性

道路交通法は、その第七一条の三において、自動車の運転者に対し座席ベルトを装着しないで運転することを禁じ、運転中の座席ベルトを義務づけている。そして、これに違反した行為に対しては刑罰または反則金は科されず、行政処分点数が一点付されることとされている。

道路交通法が座席ベルト装着義務を規定したのは、交通事故による死傷者が増大している事態に対し、死亡率・重傷率を減少させようとする目的から立法化されたものである。座席ベルト装着による被害軽減効果は顕著であり、また、立法当時には座席ベルト装着についての国民の規範意識も定着してきていたことを踏まえて立法化されたと説明されている。

座席ベルトを装着せずに運転していて交通事故を起こし、座席ベルト装着による被害軽減効果を受けられず、運転者が死亡し、あるいは重傷を負ったとしても、それは運転者本人の価値判断によるものであり、本人だけがその結果を受け止めればよいのだとする考え方も一面では成立するであろう。しかし、交通事故によって多数の国民が生命を失い重傷を負う事態は国家にとっての損失であるといわねばならない。交通事故による死亡率・重傷率を減少させることは国家自体の問題として取り扱われるべきである。運転者に座席ベルト装着を義務づける同条項の立法目的には合理性があるといえる。

座席ベルト装着の義務づけに際し、刑罰をもって強制している外国の立法例とは異なり、刑罰を科さず、行政処分点数付与という行政上の措置にとどめたのは、前記のとおり、この問題には運転者本人の価値判断に基づく面があって、事故による死亡・負傷によって一番の損失を被るのは運転者本人であることを考慮し、座席ベルト装着義務の履行を担保するのに最小限度の規制を講じたものと思われる。

以上の次第であるから、道路交通法第七一条の三(道路交通法第九〇条、同法施行令第三三条の二、同条の三、別表第一)は憲法に適合するものである。右条項に基づいて行われた本件交通取締りは警察官の適法な職務執行であるというべきである。

2  被告人に対する質問等についての職務執行の適法性

佐藤巡査は、現認係から被告人が座席ベルトを装着せずに運転しているとの連絡を受けて、走行してきた被告人運転車両を停止させ、被告人を移動交番車に乗車させた。そして、被告人を可動式テーブルの前に座らせ、点数切符の作成を始め、所定の事項の記入を終わって被告人に署名押印を求めたところ、これを拒否され、その直後に被告人が点数切符を手にして引き裂くという事態になった。

弁護人が指摘するとおり、取締警察官が交通違反者として認定しさえすれば、その後の事情聴取において本人がその違反事実を認めるか否か、点数切符の自認書欄に署名押印するか否かにかかわらず、違反検挙手続を進めていくこと(その報告がなされた結果として行政処分点数が付与されるに至る)はできたはずである。しかし、交通取締りのありかたとしては違反を認定された者に弁解の機会を与え、また、取締警察官の側からも十分に説明を行い、違反者の納得を得た上で手続を進めていくことが望ましい。

本件の経過においては、座席ベルト装着義務違反事実を否定していた被告人が佐藤巡査らの説得に応じて移動交番車に乗車し、事情聴取を受けており、自認書に署名押印を求められた段になってこれを拒否する態度を示したものであって、ここに至る佐藤巡査らの行動に違法と目すべき点は存在しない。また、被告人の署名押印の拒否の態度に対し、署名してもしなくても行政処分点数付与がなされるという手続の説明を行おうとしていたものであるが、おおむね妥当な対処であったというべきであり、違法な行為とはいえない。

したがって、本件の経過における佐藤巡査らの行為は適法な職務の執行であったというべきである。

3  警察官に対する暴行

(1) 佐藤巡査の供述

被告人から運転免許証の提示を受け、その内容にしたがって点数切符に記入し、違反日時場所等を記載して、あとは違反者の署名押印をもらうのみという段階まで作成した。そして、被告人に点数切符を向けて署名押印を求めたところ拒否されたので、自分の方に引き寄せ、点数は一点減点されるという説明をした瞬間に被告人の手(右手か左手かははっきりしない)が伸びてきて、三枚一組の点数切符が奪い取られ、引き裂かれた。そのときの点数切符の状態は、はっきりはしないが、テーブルの上に置いてあり、切符の左下に自分の左手を添えていた。奪い取られた瞬間に左手に衝撃が伝わってきた。自分の左手については、点数切符を持っていたか添えていたかのどちらかであり、断言はできない。添えていたとしても、切符を押さえつけていたのではなく、その上に載せる程度で置いていたと思う。

(2) 工藤警部補の供述

被告人に移動交番車に乗ってもらい、自分は入口のそばに座っていた。佐藤巡査が点数切符に記入し、被告人の方に向けて署名押印を求めたところ、被告人は「これに署名すればどうなる」と言ったので、自分の方から「署名押印しなくても、現認係の警察官が見ているので違反であり、点数は引かれる。」と言ったところ、被告人は「この野郎。」「約束が違う。」などと言って点数切符を左手で取って引き裂いた。そのとき、点数切符は、佐藤巡査の前に置いてあった状態であり、同人の左手が添えられた恰好であった。点数切符の向きは、被告人の署名のために差し出したものをそのまま佐藤巡査の方に引いたのであって、バインダーの紙押さえ(フック)の部分は佐藤巡査の側にあったと思う。被告人が点数切符を取った後、バインダーは置かれたまま動いていなかった。

(3) 被告人の供述

停止を求められて、まず、免許証ぐらい見せられないのかという話になって免許証を提示したところ、警察官が切符の作成を始めた。そのとき、自分は急いでいたので「後から出頭するから今とりあえず帰してください。」と言ったが、「今じゃないとだめだ。」と言われた。佐藤巡査が書き始めたところ、「認めなければ認めなくてもいい。」と言われ、「じゃあ認めない。」というやりとりがあり、警察官が作成している切符は警告の類の切符であると感じ取っていた。それで、署名押印を求められ、「警告書なのに自分が名前書かなければいけないの。」と話したら、工藤警部補から「これは減点の切符だから名前書くの当たり前だろう。」と言われ、「話が違うんじゃないですか、じゃあ私は書きません。」と言った。そして、工藤警部補から「最終的には書こうが書くまいが切られるものは切られるんだから、しょうがないだろう。」と言われた。佐藤巡査が点数切符を被告人の方に向けたが、被告人が絶対書かないと言ったら、佐藤巡査は同人自身の方に向けた状態でテーブルの上に置いた。その後、自分が点数切符を取って破いた。佐藤巡査は左手をテーブルの上に置いていたが、点数切符やバインダーには触れていなかった。

(4) 供述の検討

被告人が移動交番車の中に入ってからの事実経過については、右の三者の供述は概略において一致している。被告人が、現認された座席ベルト装着義務違反の処分について警告的なもので済む(警察官が作成を始めたのは警告書の類の文書である)と思い込み、警察官から、それは点数切符であって行政処分点数が付与されると聞いて自分の思いと違うと感じ、激昂して点数切符を手に取り、引き裂いたという行為は、被告人の心理の上で十分説明がつく経過である。

被告人が点数切符を手に取った時点で、点数切符がどのような状態であったかについては三者の記憶は一致していない。

公判前において佐藤巡査や工藤警部補が立ち会って行った実況見分の際には、佐藤巡査が点数切符を自分の方に向けて左手に持った状態(点数切符自体はテーブルから離れている)で被告人がこれを奪い取った経過が確定されて写真撮影がなされたのであるが、検察官の取調べに対しては、佐藤巡査は「自分がバインダーごと点数切符を手に持っていたとは断言できない。」という供述に変わり、工藤警部補においても「佐藤巡査は点数切符を自分の前のテーブルに置き、左手を切符かバインダーの左下に添えていた。」という供述をするに至っている。

佐藤巡査や工藤警部補の供述に変化が見られ、相互に一致しない点があることは、交通取締り中に発生した異常なできごとを体験した者がその記憶を語るものとしてはやや不自然である。これは、被告人が点数切符を手に取って引き裂くという行動があまりにも突然だったため、驚いた佐藤巡査らにおいて詳細な記憶として残っていないためではないかと思われる。佐藤巡査は、左手に衝撃があった旨供述しているが、体験供述としてはそれほど具体的・迫真的なものとはいえない。

以上の次第であるから、被告人が点数切符を手に取った際、点数切符がどのような状態であったかは確定しがたいところである。佐藤巡査が点数切符を手に持って、宙に浮かせた状態であったとは認めることはできない(検察官は、公訴事実においては「佐藤巡査が手にしていた点数切符を奪い取って引き裂く」と主張していたが、論告においては「佐藤巡査が作成してその目前に置いていた点数切符をわしづかみにして引き裂いた」と主張するようである。)。

(5) 「暴行」に該るか否か

公務執行妨害罪にいう「暴行」というためには、有形力の行使が、直接、公務員の身体に対してなされたものであることは要しない。しかし、「公務員に対して」暴行が加えられたことは必要である。

被告人がテーブルの上に置いてあったバインダーから点数切符をつかみ取った行為は有形力の行使であることは明らかである。その際に佐藤巡査の左手がバインダーまたは点数切符に添えられており、被告人の行使した有形力が佐藤巡査に感応するものであったとしても、それだけでは、「公務員に対する暴行」ということはできない。行為者において、自分の置かれた状況が公務員が適法に職務を行使している場面であることを認識し、自分のなす有形力の行使が公務員の職務執行の妨害となるべきものであること(公務員の職務執行継続の意思を挫くものであること)を意識したうえで有形力を行使したものを公務員執行妨害罪における「公務員に対する暴行」というべきであって、公務員の職務執行の場面におけるすべての有形力の行使を「公務員に対する暴行」と評価すべきではないと思料する。

例えば、公務員が職務執行中書類等を所持していたところ、その隙を見てこれをひったくる行為は、当該公務員の身体に感応するものではあるが、それだけでは「公務員に対する暴行」とはいえないであろう。本件の被告人の行為はそれに類するものである。

被告人が、テーブルの上のバインダーから点数切符をつかみ取った行為は、適法な職務を執行している佐藤巡査に対して行われた暴行である、とまでは認めることはできない。

(6) 結論

以上の次第であって、被告人が点数切符を手に取り、引き裂いた行為については、公務執行妨害罪は成立しない。

4  点数切符を引き裂いた行為の違法性

前記のとおり本件の事実経過における佐藤巡査の行動は適法な職務の執行であるから、点数切符を引き裂いた被告人の行為が一種の緊急行為として違法性を阻却される余地はまったくない。

また、被告人の行為に可罰的違法性がないというに足りる事情も存しない。

被告人が点数切符を引き裂いた行為が違法であり、処罰に値することは明らかである。

四  結論

以上の次第であるから、公訴事実のうち、前記(罪となるべき事実)の限度で事実を認定する。公文書毀棄罪は成立するが、公務執行妨害罪は成立しない。ただし、検察官は両罪を同一の公訴事実に属するものとして公訴提起したものであるから、主文においてこれに対する刑を言い渡し、公務執行妨害罪の不成立については主文に現れないこととなる。

(法令の適用)

罰条 刑法第二五八条

主刑 懲役一〇月(求刑懲役一年)

刑の執行猶予 刑法第二五条第二項(四年間)

保護観察 刑法第二五条の二第一項後段

訴訟費用の負担 刑事訴訟法第一八一条第一項本文

(量刑の理由)

被告人は、平成五年一二月二二日秋田地方裁判所で、強制わいせつ罪により懲役一年二月・四年間執行猶予の判決を受けたものである。

被告人は、本件において座席ベルトを装着せずに運転していたのを現認され、点数切符を作成されることになったが、警察官において作成中の点数切符をつかみとって引き裂いたものである。被告人の行為は、交通取締りや行政処分点数付与などの一連の処理が点数切符に基づいて行われるシステムに対する重大な侵害であったといわねばならない。

しかしながら、被告人の行為は、被告人の自己本位な考え方によるものとはいえ、とっさの憤激によるものであったことも事実である。そして、被告人は本件手続において自己の非を認めるに至り、警察官に迷惑をかけたことを反省している。以上の事情を考慮すれば、事案必ずしも軽微であるとはいえないものの、情状特に酌量すべきものがあるといえるのであって、被告人に対し再度の執行猶予に付することとした。

(検察官 今野和彦 弁護人 津谷裕貴出席)

(裁判官 秋山 敬)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例